昭和の塾生たちは祝言(しゅうげん)という言葉から「結婚のことかな」と勉強が苦手な子でもたいていが連想できていました。それは時代劇をテレビで見ていたからです。世界のこともエジプトにピラミッドがあってそこは砂漠でラクダがいて頭に布を巻いた男の人がいるとかもテレビのおかげで知っていました。当時親はテレビばかり見るなといいましたがテレビから学ぶことはたくさんありましたね。エジプトに子供を連れていけるご家庭なんて限られているでしょうから子供がテレビでエジプトのいろいろな様子を知ることは有意義だったと思います。テレビばかり見るなというのは他の媒体も見なさいということです。
今の子たち(の一部)は エジプト➡ピラミッド➡砂漠➡ラクダ のように言葉やイメージが数珠つなぎにならないようですよ。「テレビで見たことあるやろ」と言っても「テレビなんか見ない」と言われます。彼らはネットを見ているのです。ネットは自分からアクセスするので好きな分野しか見ません。情報の幅が広がらないのです。エジプトと砂漠の風景が教科書だけからの情報になってしまっているように思います。信じられないでしょうが西宮市民なのに淀川を知らない子(中3)もいました。どうやら電車で梅田にいくときにスマホに忙しくて景色など見ていないようです。中吊り広告も見ていないようで時事ニュースも危ない。
スマホの小さな画面に集中しすぎて何気ない日常の生活の中で学べていたことが失われていきつつあるのではないでしょうか。親が見ているテレビから聞こえる言葉、電車から見える景色や地名、広告に書いてあるニュースの見出しなどなど。スマホの登場でこれらからちょこちょこ学ぶ機会が失われました。古典やら社会科やらなんの実感も共感もないままただただ暗記することになります。すごく詳しい知識のことではなく身近で無駄かもしれない学習以前の知識が少なすぎるのです。数学や理科で出てくる「雨どい、電車の踏切、トランプのカード」などがどんなものかを事前に教えないと問題に取り掛かることすらできないのですよ。
今の保護者は気を付けるべしです。「普通、そんなこと知ってるやろ」は通じません。大人のスマホには時事ニュースが流れていきますが子どものスマホにはそんなものリコメンドしてきません。わざわざ親が教えないと自分の住所も分かりませんし、電話番号はもちろん、誕生年すら知らないかもしれませんよ。それはちょっと特殊な子だと思うかもしれませんが中学生でも親の連絡先が分からない子は大勢いますよ。自分の誕生年が書けない子が現れたときは私もさすがに驚きましたが。11年〇月〇日というので何11年なのときいたら平成11年だと答えました。それなら今23歳になるから違うんじゃないのというと、令和11年かな?というので「いやいやそれは未来やで。2011年のことじゃないかな。」という調子です。筆算が出来ないとか当たり前に存在します。こんな状態になっていることを「普通そんなわけないやろ」とチェックせずにそのまま中学に入れてしまうのは間違いなく親の油断です。
とくに自分が子供のころ勉強でそんなに苦労した覚えはないという親はまさか我が子が三角形の内角の和すら知らないなどとは想像もしませんので油断しがちです。気をつけましょう。
最後にデータをお見せします。
西宮のある2つの公立中学での500点満点の実力テストの得点分布です。
400点以上を取る子がA中には学年の31.7%存在します
しかし同じテストでB中では学年の3.4%しかいません。
逆に
A中で200点未満は学年の9.6%存在して
B中では200点未満は学年の51.7%存在する!
小学校や中学校が悪いのではありません。ドメスティックな問題です。お家で家庭学習の管理やわからないところの面倒を見てあげていれば別ですがそういったことをせずに「小学生で塾はまだ早い」とかとんでもないですよ。小4になるころには大きく差がついています。親の時代とは違うのです。学校に行ってさえいれば家では遊んで暮らしていてもどうにか出来ていた時代はとうに終わっています。現代は「練習は家庭で」という時代に変わっているのです。
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ちょっと念のため。
うちの名前は維新塾ですが、政党の維新の会とは無関係ですよ。うちのほうが古いんですよ。大阪での教育委員会VS維新の会の政治家たちのバトルのせいで、公立学校の元校長先生と名刺交換するときに気を使います(涙)
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年末からこの時期までは、高校生の教習生が増えます。ご存じの通り、仮免許の試験と本免許の教習所での試験があります。実地試験(技能試験)では5人から10人に一人の割合で落ちます。これは昔から大きく変わっていません。少々不器用な人でも、数回受験すれば技能は合格します。
問題は学科試験です。かつての50問で45問での正答で合格という基準から100問で95問と厳しめなったこともありますが、何度受験しても合格できない教習生が増えてきたのです。この7、8年で顕著です。仮免で数回落ちて、本試験でも数回落ちる。さらに明石で何度も落ちる。教習所や一般書店で販売されている問題集を、どれでもいいから一冊をしっかりやれば大丈夫なはずなのですが。もちろん、その種の問題集は教習生には買わせています。何回も落ちる教習生には「大学生(大学への進学が決まった人)」が含まれていることもお伝えします。
私は国語の専門家ではないのでうまく伝えられないのですが、問題文の「歩行者が」「歩行者に」「歩行者を」の区別が曖昧なのです。
「今の10代はどうなっているのだろう」と思って、高校や予備校、学習塾のサイトをいくつも見て、ここのブログに辿り着きました。こちらの学習塾以外にも「国語ができていない」と指摘しているところがありました。
冷たい言い方ですが、学科試験に何度も落ちるような人は免許を取るべきではありません。事故を起こしたときに対処できるとは思えませんから。何度説明しても、任意保険と自賠責保険の区別がつかない人もいます。合格しても自賠責保険だけで運転していては大変なことになる・・・・と説明しても「俺は事故は起こさないから」。
昔は勉強が苦手な人はわりと謙虚でしたが、最近は苦手な人ほど偉そうにふるまう傾向が見られます。「消費者」としてお育ちになったがゆえかも知れません。将来、生産やサービス提供など「供給者」になることができなかったら、つまり自立した大人になれなかったらかわいそうなので私たちは子どもには根気よく教え続けてあげねばなりません。
しかし教習所に通う年齢で低学力だとすれば自動車を運転すべきでないというのは同感です。「俺は事故は起こさないから」なんていう人は当然アウトです。酔っ払い運転の裁判を傍聴したことがあるのですが本人の答弁はひどいものでした。「そやけど俺あんときは手ぇが痛ぁて病院行かなあかんかったから・・・・」などと裁判長に言っていましたよ。丁寧語どころか標準語も話せない。しかも再犯だそうで検察官も弁護士も裁判官もこんな奴につきあわされて大変だなと思いました。
まあちゃんとした方がほとんどなのでしょうから日本の将来は大丈夫だと信じたいですね。
「通学路の表示がある道路では、登校途中の児童生徒と接触しないために素早く通り過ぎなければならない」
今の教習所では問題の一問一問について説明をしています。上の問題は明らかな間違いなのですが、今の教習生にとっては当たり前ではありません。加えて、彼らとのコミュニケーションが成立しないことが多くて困っています。彼らはこちらの説明がわからず、こちらは彼らの言いたいことがわからない。単語を繋げるだけで文になっていないのです。
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/703562/
読売の古い記事ですが、当校の生徒が書いたのかと錯覚したくらいです。昔の「暴走族」は、あれでも免許は持っていたんですよねぇ。
蛇足になりますが、技能試験は何回落ちても構わないと思っています。面接試験のような独特のプレッシャーもありますし、運動神経の個人差も大きいですし。むしろ、数回くらい落ちてくれたほうが「運転の怖さ」をわかってもらえると考えています。
「祝言」を知らない学生を採用するつもりはありません。
能力や人格とは無関係なのはわかっていますが、仮に採用した場合、どんな問題を起こすか想像がつかないからです。一般社会からは学歴フィルタリングと避難されますが、こちらも戦力となりそうな人を採用したいわけです。そうすると、大学の名前で足切りすることになります。
他には「いろは歌」「十二支」があります。営業に回した社員が取引先で「来年の干支」を言えなかったことがあり、決まりかけていた契約が破談になっただけでなく、その後の取引もされなくなりました。
昨年からは、世界地図の白地図を面接室に貼り出して「ウクライナはどこですか」と指差してもらうことにしていますが、エジプトも加えようかとこのブログ記事を見て。
採用は神経を使うでしょうね。昔は勉強や趣味やらにまったく取り組まない自発性のない子は見た目や挙動で何となくわかりましたが最近はみんなシュッとしていますから。応募者一人一人とじっくり話す時間があるわけでもないでしょうし結局学歴フィルタのようなことを安全装置として組み込むというのは企業としては仕方のないことでしょうね。
塾で生徒に「入試はオーディションだ。選ばれるための努力はいるでしょ。」といっています。
かくいう私もネットにあるSPIの練習問題に挑戦してみるとモタモタしてしまうのでこのままじゃ就職できないじゃんとか思っていますが。