算数や数学で図形の周りの長さを求める問題があります。例えば「たて3cm、よこ5cmの長方形の周りの長さは何cmですか」という問題です。結構大きな子どもたちでも何人かはこれを出されるとフリーズするのです。教育業界の人以外には驚きでしょう?
ところで「図形のまわり」という言葉ですが実にさまざまな解釈ができてしまいます。

出題者の想定ではさっきの問題は3+5+3+5=16cmが答えなのですが、解く人が上の図の(脳内図①)みたいに考えていると、「長方形からどれぐらい離れて周るんだろう」と考えてフリーズしているのかも知れません。そりゃ解けないね(涙)

上の図のような感じに空間で考えているのかも。6cmとか10cmになるのかな。

こんな感じで長方形を空間で囲むバリアみたいなのを脳内再生しているかもです。
結局困って何もしない子と3×5をして15と答える子、そして普通に正解を出す子に分かれます。
ちゃんと「図形のまわりってどこのことですか」と質問してくる子もいます。
どの解釈でも図形のまわりとしてあり得るのですが、今までの人生でこういう問題を解いたことがないのかなとは思います。結局「勉強の経験がない」とバレてしまうのです。経験があると「そういうことかい。図形の周りといわずに図形のふちっていえよ」とかツッコミをいれたりして学び、次からは出題者の意図にあった解答を書くようになると思うのです。(私の個人的見解ですよ)
以下は英語担当の先生との雑談なのですが
私「ねえ先生、日常の英会話でAさんがBさんに「それどこにあったん?」と聞いてBさんが「たまたまあってん」というときBさんはどう言うの?『それは偶然そこに存在した』と言い換えて英語にしたとして、Aさんには『たまたまあってん』程度の軽い会話に聞こえるの?」
先生「英語圏での会話では多数の異文化の外国人との共存になるので、日本人どうしでの日本語会話のように共有知識を前提とはしないのです。だから必ず主語を明確にしてプログラムのような文法に基づいて会話をする必要があります。『それは偶然そこに存在した』でまったく問題ないです。例の会話では『どこに』と場所を聞かれているのに『たまたま』と答えています。これはより高度なコミュニケーション能力だといえるでしょう。」
私「そういえば図形のまわりの長さを求める問題で『身体検査で胸のまわりを測るでしょ、あんな感じにメジャーでくるりと巻いて長さをはかるのよ』とか言いながら身振り手振りで説明してたんだけど、今は学校で胸囲を測らないのよな。『胸のまわりを測る』と言っても今の子は『乳頭を中心とする円』を脳内再生するのかもね。実際胸のまわりにブツブツができたというときはそっちだもんな。俺たちは言葉のチョイスに気を付けないといかんね。」
この会話が発展して冒頭の話になったのですが、キーワードは「共有知識」ですね。同世代の日本人同士でも失われつつあるのではないかと思っています。なのに義務教育の時点ではその年代の子がみな共有知識をもっているかのように問題文が書かれています。もしお子さんが算数で苦しんでいるとしたらそれは「平易な文章を読むと皆とは違う風景が思い浮かんでいる」という状態なのかも知れません。
参考までに「64の前の数字は?に65と答える子」